「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

六、バブル期の中で停滞するわたし

 今となったらそんな強気なことを書けますが、まだ二十歳そこそこだったわたしは、前回の終わりに書いた人たちと全く変わりがなかったのです。そしてわたしという人間は、そんな状態のまま、ずっと生き続けるんだろうなあと、内心諦めてもいました。

 宗教はいやだけど、やめる勇気はない。書きたいと願っていた小説も、全く書けない。それならば働きに行かなければならないから、なるべく無難に思える仕事に就いて、日々を何とかやり過ごす。わたしに待っていたのは、そういう人生だったのです。

 二年目の留年は避けられて、何とか大学を卒業することのできたわたしは、取り敢えずアルバイトの仕事に就いたのです。

 就活ができなかったから、働かないことを貫くという気概もありませんでした。人間として生まれた限り、働かないわけにはいきません。それでわたしは何でもいいからという思いで、働き始めたのです。

 そのうち時はかの有名なバブル景気の時期に差し掛かりました。わたしの年齢は二十六、七でした。

 恐るべきほどの人手不足の風が吹き荒れて、わたしのような働く側の人間にとっては、非常に有利な時代になりました。そしてたまたま見つけた手動機の写植オペレーターの技術を身につけて、二、三十人規模の会社に正社員として就職をしました。

 技術を身につけたと書きましたが、わたしの腕はさほどいいものではありませんでした。その上遅刻、欠勤が多いので、会社には迷惑ばかりかけています。

 友人の一人もいませんでした。若い女性の知人など、全く雲の上の存在でした。家に帰ると、例の宗教団体の人が来て、集まりに行こうと誘いに来ます。そんなもの行きたくもなかったのですが、普段飲みに連れていったりしてくれる人なので、無下に断るわけにはいきません。

 それにやはりわたしは、その人が好きだったのです。とてもきびきびとした身のこなしをする、元気な人だったので、わたしもこのような人間になれればいいなあと、憧れていたものです。

 しゃべり方も明るく、面白いことを言う。わたしのように、常に暗くどんよりとした人間には、明るいしゃべり方をする人は、太陽のように眩しかったものです。

 しかしその人に心底認められようとしたら、わたしはぜひともその宗教団体に、どっぷり肩まで浸からないといけないのです。それは到底無理だった。わたしはその宗教団体の教えを聞くたびに、虫唾が走る思いがしたからです。

 会社ではどちらかというとみんなに好かれてはいたのですが、何しろ遅刻、欠勤が多いので、戦力になっていないという引け目があり、積極的に仲間意識を持つことはできませんでした。

 当時のわたしにとって最も大事な世間は、やはりその宗教団体だったのです。大事な世間なのに、その宗教団体の教えが嫌い。そんな引き裂かれた状態で日々を過ごして、精神的に健康でいられるはずがありません。

 いわばわたしはすっかり絶望していたのです。会社という世間では、ろくな戦力になっていないので、正式な一員だとも思えず、宗教団体という世間では、虫唾が走る思いをしながらも、好きな人がいるから仕方なく属しているという状況に。

 そんな状態で、二十八、九歳の頃をぼんやり過ごしていました。バブル景気はまだ続いていました。ろくでもない仕事ぶりしかできなくても、首にはならないのだろうと、何となく安心していたある時、わたしはある大恋愛に捕まってしまったのです。