「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

三十八、儲かる世間に入りさえすればいい

 わたしはもちろん社長になんかなりたいとは、毛ほども思ったことはありません。大金持ちになって、ニューヨークまで自家用ジェットを飛ばすことになんか、まるで興味はありません。

 自家用ジェットどころか、普通免許すら持っていないので、自動車を走らすことすらしません。

 自動車に関して言うと、どうしても自動車を運転しないといけないなら、仕方なく免許を取って運転もしますが、あくまでもそれは仕事のために仕方なくすることで、自動車を運転することが楽しみだなんて、一度も考えたことはありません。

 だから、高級車を所有したり、趣味はドライブだと言ったりする人の気持ちが、まるで分かりません。

 色々な自動車やバイクや自転車や歩行者が往来する中を走っていて、いつどこで何に衝突するか分かりません。前の自動車に軽く追突して、まずいと思っているところへ、その自動車からいかにも怖そうなおっさんが出て来て威嚇されたりしたら、わたしはもう生きた心地はしません。

 それくらいならまだいいのですが、角を曲がりそこねて歩道にいる子供を轢き殺してしまうなんてことがあったら、もはや生き続ける意味なんかないでしょう。

 そんな危ない橋を渡らねばならないことがあるのに、楽しそうに自動車を運転して、それで幸せという顔をしている人を見ると、わたしは首を傾げたくなります。

 まあ、そういう人たちから見ると、わたしのように働いて稼ぐ欲が少なく、自動車なんか興味がないというような人間を見ると、思わず首を傾げたくなるのでしょう。

 何しろ日本は自動車大国なんです。自動車を礼賛しない人間なんて、非国民にも等しいのでしょう。

 しかし今、中国では、電気自動車の開発がどんどん進んでいるらしいのです。世界中からガソリン車が一掃されて、電気自動車ばかりになったら、電気自動車後進国の日本は、自動車産業の競争から落ちこぼれてしまうでしょう。

 そうなったら、日本には何が取り柄として残されているのですか? 観光大国として外貨を儲けますか?

 このように、もはや日本には、以前のような驚異的な発展を遂げる要素はないのです。今大企業だと威張っている多くの会社も、いくら政府にお目こぼしを貰って生き残っていても、いずれ政府にも余裕がなくなって、どんどん潰れていくことでしょう。

 なのに今、日本の若い人たちは、会社員になって、滅私奉公の道を選ぶ人が多いようです。旧式だと思われていた世間というのが、この十年、二十年の間に力を増してきたようなのです。

 世間というところには、人権という概念は存在するけれど、具体的な個々の人たちの人権はないと、阿部謹也さんは仰っていました。

 世間にとって大事なのは、世間の上層部の利害であって、上層部が潤うことによって、トリクルダウンの方式によって、下層部の人たちにもお目こぼしがある、そういうシステムになっているのが世間というものなのです。

 だからまともな生活をしていくためには、どこかの世間に所属して、そこで滅私奉公の精神で働くより他ないのです。そうした世間の代表格が会社という組織なのです。

 どうせもう高度経済成長もバブル景気もないのなら、儲かっている世間に何とか入って、そこで自分たちだけでもいい目を見たい、みんなそのように利己的になっているのです。

 もう一つこの閉塞感を打破する方法として、危険なことを考えている人たちも大勢います。一層のこと、ここで戦争でも起こしたらどうだろうかというような。