「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

七十一、社会と世間が混在している

 明治になるまでの日本の世間は、もっと住みやすいものだったように思われます。西洋式の個人や社会が輸入される前だったので、世間という何気ない体制が、ちゃんと機能していたのです。

 しかしそれは鎖国をしていたという特殊な状況により維持できていたものであって、いつまでも続くはずのないものでもあったのです。

 西洋の国々が次々と中国や東南アジアなどを占領して、植民地にしていく。日本もいつまでも前近代的な充足の中で生きていたならば、あっという間に列強の植民地にされてしまう。そのことは避けたいと考え、明治政府ができて、鎖国を解き、西洋の仲間入りをする決意をしたわけです。

 その時に入ってきたのが、様々な科学技術や軍事技術などです。その二つをとにかく早いこと導入しないことには、日本は列強と戦争することになっても勝てない。その一心で必死に発展したきたわけです。

 科学技術と軍事技術を入れたら、それだけですむものではありません。西洋式のものの考え方というものも同時に輸入されます。

 その中心たるものが、個人と社会という概念です。

 日本の政府も学者たちも、個人と社会の輸入に躍起となって、それ以前の日本をしっかり支えていた世間というものの存在を黙殺することになったのです。

 それから日本には、二重の考え方が発生するようになったのです。

 日本という国はすっかり西洋式の個人と社会という概念を身につけていて、西洋人と変わらない思考様式になっているという考え方と、日本にはまだしっかり世間というものが残っているどころか、未だに世間中心に物事は動いていて、西洋式の思考様式など、全く浸透していないという考え方です。

 日本の教育の場面では、個人と社会というものを、徹底的に教えられ、家に帰ると、そこには頑として世間が存在している。

 それほどものを深く考えない一般の人には、そのことは苦ではなかったのですが、ものをしっかりと考えて、日本というものを世界的に通用する国にしたいと希求する一部の人たちには、この二つの考え方の混在は激しい苦痛を与えたようです。

 一般の浅くものを考えるインテリ層は、何の疑いもなく、日本にはもうすっかり個人と社会が根付いていると確信しているようです。だから阿部謹也さんが学会などで学者相手に『世間』という言葉を使って日本を説明したりすると、露骨に嫌な顔をされたと、著作に述懐されていました。

 しかし一方で、部落解放組織を始めとした、差別を受けて苦しんでいる団体などで講演をすると、大々的に受け入れられたと書いておられます。

 しかし実際にこの国を主導しているのは、何と言ってもインテリ層なのですから、まずインテリ層の人たちが、世間というものの存在をはっきり認識することから始めないといけないと、わたしは考えます。

 お金のかかった洋間でワインなどを傾けて気取っている場合ではないのです。日本は日本であって、フランスやイギリスやアメリカではないのです。日本らしい身の処し方をしていかないといけないのです。

 実際そのように身を処している部分はあります。日本のやっている外交などは、とても欧米式とは言えないものです。日本人の世間での身の処し方と、ひどく似通っています。

 何か諍いになりそうになったら、裏から手を回して根回しをして、何となく何ごともなかったかのように、その場は収めてしまいます。こういうやり方は、明らかに日本の世間的なやり方ではないでしょうか。