「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧

七十五、日本人は日本人らしく

前回は宗教団体という世間について少し書きました。あれだけの記述では、わたしの心のうちにあることを、全て吐露したものだとは言えないでしょうが、別に何もかもをすぐにぶちまけてしまわないといけないわけでもないのですから、あの記述については、打ち…

七十四、宗教団体という世間

ここでわたしは、最初にわたしが関わることになった、宗教団体という世間について、少し話したいと思います。 宗教は今や、日本だけではなく、世界中の政治を決定づけるほどの力を持っています。だからここで軽々に論じて、宗教否定などをするわけにはいきま…

七十三、健全な世間が日本を健全にする

わたしなどのような、精神病になった低級な者がこんなことを訴えたところで、誰も納得はしてくれないでしょうが、ここまで七十数回にもわたって、世間について論じてきました。 わたしはわたしなりに懸命に書き続けました。このまま世間というものを曖昧なま…

七十二、世間を前面に押し出さないと、また戦争になる

是非とも日本の世間というものを、もっと前面に押し出さないといけないのです。少なくとも、日本は欧米とは違って、世間というものが中心になって機能している国だということを、まずインテリ層から認めるようにしていって、そして次第に国民全体に浸透させ…

七十一、社会と世間が混在している

明治になるまでの日本の世間は、もっと住みやすいものだったように思われます。西洋式の個人や社会が輸入される前だったので、世間という何気ない体制が、ちゃんと機能していたのです。 しかしそれは鎖国をしていたという特殊な状況により維持できていたもの…

七十、立派な社会人なんかになりたくなかった

洗脳という言葉を使うと、あまり穏やかではありませんねえ。そういう言葉を使わずに言うと、宗教団体や会社というところは、わたしたちに社会人としての礼儀を教えてくれる場ということになるのです。 一人前の社会人にならなければ、一人前の大人になったと…

六十九、洗脳されるのがいやだった

わたしなどは、大学まで出たのに、新卒一括採用によってどこかの会社に入って、人生のレールに乗れなかった人間なのです。 何故みんなのするようなことができなかったのかというと、社会に出るのが恐ろしくて仕方がなかったのです。社会といっても、日本では…

六十八、年功序列制度も大事なんだ

世間の中にある上下関係というものは、世間が円滑に動くためには、欠くことのできないもののようです。 会社などにある年功序列制度。あの制度があるから、会社に所属している人は、心安らかに働けるという心理があるのです。 若い人でも、今は若いからバカ…

六十七、日本は自由・平等の国ではない

欧米の社会における緊張した人間関係も恐ろしいものですが、何か事があれば裁判で片をつけると割り切られています。正しいことは正しい、間違っていることは間違っている。十分に話し合って、事の理非を決める。 そのようにはっきりと誰にでも分かるように議…

六十六、世間の排他性

世間の中でいい思いをする人がいるということは、その中でいやな思いをする人たちもたくさんいるということです。特に世間というところは、頑固に馴染めずにいる人たちに対してはつらく当たるところのようです。 表向きは何事もなくても、裏でコソコソいじめ…

六十五、世間は馴染めれば優しく抱いてくれる

わたしがクリニックのデイケアに通っていたことは、前にも書きました。そこで何年か通ううちに、リーダー的地位に就いたことも書きました。 給料を一円も貰えないところでリーダーになんかなったって、しゃあないやんかという声が聞こえてきそうですが、まあ…

六十四、日本人は意見をぶつけ合うのが苦手

個人と社会の確立されている欧米に対する憧れは、特にインテリ層に強いものなのです。 わたしは、今でこそ、ズドンと最下位にまで落ちぶれてしまいましたが、大学に通っている間は、一応自分はインテリだと思っていました。 だから欧米人のように、はっきり…

六十三、鵺(ぬえ)のような日本の外交

わたしは精神障がい者で、ろくに金儲けもできないぼんくらなので、世界や日本のことを語る資格などなかったのです。つい語ってしまいましたね。すみません。 ところで語りついでにもうちょっと語りたいと思いますが、どうでしょう、聞いていただけますか? …

六十二、野蛮な積極性

タテマエとホンネがあるために、日本人は時にどちらを取ったらいいのか分からなくなります。 ホンネの部分では、日本人は消極的で、まわりの目を意識して生きる民族なのですが、それでは欧米人のような進んだ人間になれないと考えて、もっと積極的になろうと…