「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

六十八、年功序列制度も大事なんだ

 世間の中にある上下関係というものは、世間が円滑に動くためには、欠くことのできないもののようです。

 会社などにある年功序列制度。あの制度があるから、会社に所属している人は、心安らかに働けるという心理があるのです。

 若い人でも、今は若いからバカチョン扱いされるが、年齢と経験を積めば、いつの間にかある程度の尊敬を受ける地位に立てる。そういうことが約束されているから、少々の酷い扱いにも耐えられるというものです。

 年を取っても必ずしも重んじられるわけではないとなったら、年若い者は、酷い扱いをされたらきっと耐える気を失うでしょう。

 日本には、『応分の場を保つ』という言葉があります。

 年齢や地位や人望などによって、自分はこのくらいの場にいるのがふさわしい。そのふさわしい場にいて、ふさわしい態度を取って生きていくのが、人間としての道だというのが、美徳になっているのです。

 決してそれは江戸時代にかつてあった旧習などではなくて、今も頑として存在する世間の法律のようなものなのです。

 だからこそ学校を出て、新卒一括採用によってどこかの会社なり役所なりに入って、そこで一生面倒を見てもらうという制度が、とても大事にされているのです。

 よほどの能力のある人たちは別にして、普通の人々は、みんなそうしたレールに乗ってもらわないと困るのです。能力もないのにレールから外れた生き方をされたら、そんな人を世間の中に入れるわけにはいきません。何しろその人に与えるような『応分の場』というものは、世間には存在しないのですから。

 自分の意志で世間から外れる人はいいとして、問題なのは、世間にしっかり場を占めたいのに、能力や運などが足らずに、世間からこぼれ落ちてしまう人たちです。

 そういう人たちが今、非正規社員として働いていて、その日のご飯を食べるのが精一杯というような、切羽詰まった生活をしているのです。

 世間はもう、そんな人たちの面倒など見ません。世間が面倒を見るのは、ある程度レールの上を順調に歩いている人たちだけなのです。

 被差別階級の人たちでもないのに、世間から外れてしまう人たちもたくさんいるのです。そういう人たちがいるのに、それよりもっと昔から世間から外れていた被差別階級の人たちに対する差別のことなんか、真面目に考えている場合ではないでしょう。

 かといって、新卒一括採用から始まる、このレール制度を、廃止してしまうわけにはいかないのです。

 日本人には個人というものがほとんど形成されていませんから、学校出たら勝手に就職するなりしばらく遊ぶなり、自由にしてくれなどと言われたら、特に全く個人というもののないに等しい若者たちは、途方に暮れるばかりです。

 新卒一括採用から始まるレール制度は、日本人にとって、極めて大事な制度なのです。だから、この制度を廃止して、就職市場をもっと自由化すべきだと誰かが言ったところで、そんなやり方が日本という国で円滑に動くはずがないのです。

 大分前に、これからは実力主義の社会だから、実力のある者は上にどんどんあがって、実力のない者は淘汰されていくべきだという風潮が、流れたことがありますが、その当時この風潮は、日本という国に一時的な混乱を引き起こしたのです。

 実力のない者も含めて、みんながある程度の生活をしていけるように守る、そういう考え方が、日本人には一番合っているようなのです。

 だから今、子供の将来の志望の中で、『会社員』がかなりの上位を占めているのです。