「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

六十九、洗脳されるのがいやだった

 わたしなどは、大学まで出たのに、新卒一括採用によってどこかの会社に入って、人生のレールに乗れなかった人間なのです。

 何故みんなのするようなことができなかったのかというと、社会に出るのが恐ろしくて仕方がなかったのです。社会といっても、日本では会社に過ぎないのですが、当時は気の弱い若造に過ぎなかったわたしが、そんな反抗的な意見を心の中に抱けるはずもなかったのです。

 とにかく社会なり会社なりが怖くて仕方がなかった。

 それは、親たちに迫害された子供時代の経験からくる気の弱さも大きな原因ですが、もう一つわたしが恐れたものがありました。

 それは洗脳される恐怖というものです。

 わたしは今でもつくづく思います。どんなろくでなしの親であってもいいから、くだらん宗教団体なんかには入っていて欲しくはなかったと。

 例のお世話になった人に連れられて宗教団体の集まりなどに出かけるたびに、わたしはただただゾ~ッと背中に寒気が走る思いをしたものです。

 大勢の人たちの前に立って誰かが体験発表なるものをしたりしているのですが、そういう人たちは声は大きいのですが、言っている内容が、見事なくらいただの紋切り型なのです。次から次に出てくるそういう人たちは、判で押したように大きな声でがなり立てて同じことばっかり言うのです。

 そういう人たちを見ているうちに、わたしの脳裏に閃いた言葉が『洗脳』だったのです。

 わたしの生涯の夢は小説家になることであって、どこかの組織なり会社なりに入って、そこで洗脳されて、ロボットのような人間になることではありませんでした。

 その宗教団体のやっていることは、明らかに洗脳でした。宗教を広めるためのロボットを量産しているだけなのです。そのことに気付きました。そして会社というところも、そのような洗脳が行われていることも、当然の帰結として思い至りました。

 宗教団体の人たちがはっきり言うのです。何の意味もなくてもとにかく人前で大きな声を出せたらそれでいいんや。お前らなんかが考えたことなんか役に立たん。何も考えんと、上の人の言う通りに大きな声を出してたらええ。ここでこういう訓練してたら、社会で生きていく時にすぐにでも役に立つ。なんでか言うたら、社会もおんなじようなとこやから。そやから、この宗教団体の洗脳に馴染んだら、社会の洗脳も何の抵抗もなく受け入れられて、いずれは立派な社会人になる。

 そのようなことを、平気で主張するのです。

 今の時代、『洗脳』という言葉は使いませんね。何故ならわざわざそんな怖い言葉を使わなくても、今の若い人たちは、自分から進んで『洗脳』を受けに行っているからです。

 今は昔よりももっとお金万能主義の時代です。洗脳なんか、当たり前になっているので、そういう言葉すら使いません。お金持ちになるのが最高の人生に決まってるやん。それが違う言うてるお前はあほやぞというわけです。

 日本で起業などをしてお金持ちになる可能性は、極めて低い。最も効率のいいお金儲けは、大企業に入って長年勤め上げることなのです。それで子供たちの将来の志望では、会社員がほとんど一位に近い人気を誇るようになったのです。

 だから、大企業に入って『洗脳』をしてくれるとなったら、それはラッキーなことなのです。洗脳が恙なく出来上がったら、会社という世間にすっかり入り込んでしまえる。そうなればもう、輝かしい人生の始まりやというわけなのです。