「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

二十五、世間は人間関係が大事

 わたしは元々人に嫌われやすい人間ではなかったので、人間関係で苦しんだことはありません。そこが他の精神病者とは違うところです。

 みんな人間関係の破綻のようなものが起きて、病気を発病させた人が多いようですから。

 世間というところは、ほとんど全て人間関係でできているものですから、人間関係を円満にできるわたしという人間は、本来どんな世間に入っても、自由に楽しく暮らせた人間なのです。精神病になどならなくてすんだはずなのです。

 親のせいにしたらあかんとある人に怒られたことがありますが、やはり人間にとって親の影響は、一生残るものです。わたしの人間関係の円満性をぶち壊したのは二人の親です。そして例の宗教団体の男です。

 親も宗教団体の男も、世間は厳しい、厳しいとばかり脅かすだけでした。そんな時に、ひとことでも、お前やったら今のままでも十分世間でやっていけるって、言うてくれたら、少なくとも精神病院に入るような仕儀には至っていなかったと思うのです。

 六十三歳という今の年になったらよく分かりますが、わたしには十分、会社のような世間でうまくやっていける資質があったのです。「ライオンの檻の中に丸腰で入るようだ」なんて恐れる必要はなかったのです。

 デイケアなんか、そりゃ、厳しないやろう。ただの病院の施設やねんから、みんな気を遣ってくれるやろう。そんなとこで馴染めたからいうて威張って欲しないと、怒りの言葉を受けるかも知れません。

 確かにそうです。デイケアなんか、甘っちょろいところです。しかしそんな甘っちょろいところにも、なかなか厳しい人間関係があるんですよ。

 いや、仕事の甘っちょろいとこの方が、逆に人間関係複雑になるもんなんですよ。

 公務員なんか、売り上げを気にせんでもええ仕事やから、気楽やんか。誰でもやりたいわ、なんて部外者は思うものです。実際市役所の別館なんかに用事で行ったら、遊んでいるような公務員連中が山ほどいます。

 しかし遊んでいるから楽かといえば、決して楽ばかりやない。その遊び方にも、そこの職場という世間独特のルールがあって、彼らはそのルールに従って遊んでいるのです。

 いや、それは、表向きには遊んでいるように見えて、その世間の中にいる人たちには、真剣な仕事なんです。結構過酷な人間関係があって、その人間関係を円満にするために、ある程度仕事をして、ある程度遊ぶという、難しい技をこなしているという場合が多いのです。

 売り上げをあげなければならないという試練がある方が、余計な人間関係を無視することができるので、精神衛生上は楽だったりするのです。売り上げさえ一位になったら、別に素っ気なくしててもええやん、そういう理屈も成り立つのです。

 デイケアは公務員の現場以上に遊んでいるところです。基本的にみんな遊びに来ているのですから。そういうところに三十人くらいの人が一つの部屋にひしめき合っているのですから、そこでの人間関係は半端なものじゃないのです。

 まるごと人間関係という場所に、わたしは十年ほどの年月通っていたのです。

 ぼくはその中の中心にいましたから、それこそ様々なことを学びました。会社では学び得なかったことを、たくさん学びました。何しろ十年ですからねえ。十年も人間関係の坩堝にいたのですから、学びたくなくても学んでしまうでしょう。