「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

三十四、わたしの抱えている矛盾について

 今も、働きに出ることなく、みなさんの税金で病院代だけではなく、生活費全般を払っていただいているのだから、わたしは日本という世間に対して頭を垂れて生きていかないといけません。

 こんな世間論を偉そうに書いている場合ではないのでしょう。一日中正座でもして、世間の皆さまにお祈りをあげていなくてはいけないのでしょう。

 しかしそんなことをして一日を過ごしているわけにはいきません。妻と二人で暮らしているのですから、会話もします。生活もあるので、色々な用事を片付けていかないといけません。

 それに二人とも精神障がい者なので、時々はゴタゴタと諍いをします。お互いのことを大事に思ってはいるのですが、病気のせいで、いつも平穏というわけにはいかないのです。

 この文章は、精神障がい者は何故働けないのかを論じるものではないので、そのことについては何も語りません。そうした論はそうした論で、かなりの大部の本になるでしょう。いや、どんなに大部の本を書いたとしても、何も説明になっていない。そういうことになることは必定です。

 世間論の方も、いくら語っても語っても、語り尽くせないくらい奥の深いものだと、わたしは自覚しています。

 わたしはいちおう大学で学問をしたことがあるので、学問というものを少しは知っています。どんな分野の学問であろうと、深く掘っても掘っても、目的にはたどりつかない、そのように奥が深いものだということは知っています。

 だからこそ学問は楽しいのです。一生学問だけに打ち込んだとしても、到底一生だけでは足らないでしょう。何回も生まれ変わって、その一生ごとに学問のみに打ち込んで、それを永遠に繰り返しても、やはりまだ奥がある。学問とはそういう果てしのないものです。

 就職予備校的に四年でさっさと片付けて、さあ金儲けに集中しようというような、簡単なものではないのです。

 だからといって、金儲けをしなければ、人は生きてはいけません。

 わたしという人間は、そのような矛盾を抱えて生きているのです。だからこそ物事をよく考えます。そして長いこと物を考えてきて、今わたしは、世間学というものに行き当たったのです。

 さて、わたしという最下層にいて、みなさんのお世話になっている人間は、三十五歳から四十五歳までの間クリニックのデイケアにいて、様々な勉強をさせてもらいました。

 特に、今夢中になっている、この世間学に関係があると思われるような勉強は、たくさんさせていただきました。

 わたしのような最下層にいる人間でも、世の中のために何か少しでも役に立てばと思い、わたしは日夜本を読んで勉強し、こうしてこの文章を書き続けているのです。

 日本という国も矛盾を抱えています。わたしたち最下層の人間も税金で暮らしているのですが、国の上層部にいらっしゃる大勢の上澄みの方々も、税金で暮らしていると言っても過言ではなく、その金額は、一般庶民の感覚で言えば、目の飛び出るほど高額なものです。わたしたちの一年間の生活費が、そういう人たちによって、たった一日で費消されていく、そういうことはざらにあるのです。

 そんな多額のお金を預かって政治や会社経営などをしているのですから、できれば矛盾なく、正当なお金の使い方をしてもらいたいものですが、なかなかそうもいかないようです。

 日本だけに話を限定すると、政治などの矛盾は、ほとんど全て、日本にある世間が生んだものだと言えるのです。だからと言って、世間は悪いものだとして、廃止すればいいのかというと、そういうものではありません。