「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

十九、世間のいいところ、悪いところ

 日本にある世間というところには、そういう温かい部分があるのです。だから世間の懐に抱かれて心安らかに憩える人は、十分に憩えるのです。

 そこには個人主義も競争もなく、ただ母親に頭を撫でられて眠るような、限りない心地よさがあるのです。

 世間というと、悪い意味でしか考えない人が多いのです。日本には社会というものがなく、世間しかないと言うと、日本という国を侮辱されたように感じる人も多いと思います。

 世間学の本をいくつも読んで考えるのですが、そういう本を書く先生方は、決して世間を悪いものとして排斥しようとはしていないということなのです。

 世間にもいいところがたくさんあるのです。

 簡単に述べると、日本という国が、戦後驚くべき高度経済成長を立派に成し遂げたのは、日本に世間というものがあったおかげなのです。

 たとえば会社というところは、強固な世間でした。

 欧米には世間というものがありませんから、日本の会社が持っている団結力というものを、どうしても真似ることができませんでした。欧米には個人がしっかりしていますから、日本人がするように、会社に忠誠を誓うようなことは、したくてもできなかったのです。

 忠誠を誓うなどと言うと、極めて古い考え方だとは思いますが、とにかく日本があの驚くべき高度経済成長を成し遂げたのは、会社における滅私奉公の風潮があったからであるのは、間違いありません。

 あの時代はそれでよかったのです。とにかく何がどうなっても、会社の業績をあげる。そのために、社員一同一致団結する。そういう精神で日本という国は成長できたのです。

 ところが、今のグローバル化新自由主義経済の時代になると、それでは立ち行かなくなってしまったのです。

 政治・経済という点になるとわたしは詳しくないので、うまく論じることはできません。それは世間学の先生方が書いていらっしゃいますから、そちらの方を参照して下さい。

 とにかく今の日本が既に成長をやめて、他の後進の国々にどんどん追い抜かれているという事実は、新聞やテレビなどでよく書かれたり言われたりしているので、みなさんもお分かりでしょう。

 それなのに、一九九八年頃から、日本の世間は急激に復活して、日本人は保守的になる道を歩んでいると、世間学の本に書いてありました。

 いつまでも世間一辺倒では、これからの世界を渡っていけないというのに、そんな時に世間の力が強まってしまったのです。

 世間が強くなっているのに、新自由主義経済だ、能力主義だと言われても、両者は明らかに矛盾しています。世間というところは平等を好む場所で、能力がなくても一応生きていけるようなシステムになっているのに、そこに能力主義が入ってきては、内部は混乱するだけでしょう。

 そうした混乱のあげくに、世間が大きな反発を示して、今は逆に世間が強くなり、日本という国は戦前に似たような保守的な風土になってしまったのです。

 世間の中での締めつけが強くなり、人々はみんな息苦しさを感じています。世間からどうしても落ちこぼれる人たちがたくさん現われ、そういう人たちは、下流国民として貧困に喘ぐようになってしまったのです。

 はっきり言って今の世間は、世間の上層部にいる人たちを守るだけの、閉じられたものになってしまったのです。昔のように、みんなで一致団結しようなどという意識は、上層部の人たちの考えにはありません。