「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

二十、会社という世間

 上層部の人々には、元々みんなで団結しようなどという意識はなかったのでしょう。世間はただ、自分たちの利害を守るためだけの道具、それだけのものだったのでしょう。

 世間のルールに縛りつけられていたのは、中層部から下層部にかけての人たちなのでしょう。

 そういう人たちは、より一層利害に敏感です。何故なら、入るお金が全くなくなれば、途端に命の危機に陥ってしまうからです。

 だから日々の糧を得るために、せっせと世間のルールに従うのです。

 彼らは世間のルールに従っているという意識はないのです。ただ毎日会社に出たり、個人事業に精を出したりしているだけなのですが、そうした仕事を恙なく続行するためには、どうしても世間のルールに従うより他にないのです。ただ当たり前のことをしていれば、それがそのまま従っていることになるのです。

 そして日本人のほとんどの人は、会社と家庭くらいしか所属する世間がありませんから、唯一の生活の糧を稼げる会社というところは、重要な世間になってしまうのです。そこから追い出されては生きていけないところに。

 それでも会社という世間に馴染んで、心安らかに過ごせる人はいいのです。会社の中に自分の居場所をしっかり作って、それで生き生きと仕事をしていけばいいのでしょう。生き生きと過ごせて、その上お金を貰えるのですから、いいことだらけです。

 しかしそういう人ばかりではありません。会社という世間で一日を過ごす人たちの大部分は、生きにくい思いをして、会社にしがみついているのです。

 生きにくいからといって、すぐさま辞めるわけにはいきません。自分の所属する世間から出てしまっては、どこも自分にお金を儲けさせてくれるところはありませんから。

 確かに転職という方法はあります。わたしは以前は手動機の写植オペレーターの技術を持っていたので、あちらこちら会社を変えたりしたものです。転職というより転社ですね。職を変えたのではなく、会社を変えただけで、やる仕事は全く同じなのです。

 日本では、会社をあちこち変えたりしているのは、腰の落ち着かない怠け者と見なされがちです。そして会社を変えれば変えるほど、収入は減っていくものなのです。

 欧米のように、転職すればするほど待遇がよくなるというシステムは、日本にはありません。あるようなことをテレビのコマーシャルなどで喧伝していますが、それはよっぽど特殊かつ超熟練の技術を持った人だけが可能なことです。

 普通の事務員レベルの仕事で、転職するたびに給料がどんどんあがるということは、日本という国ではあり得ないことです。

 中年のある程度の年齢になると、ちょっとでも給料が下がるというのは凄い痛手です。むしろ給料はあがっていってもらわないと困るのですが、今の不景気な社会状況では、右肩上がりで給料が増していくことは、なかなか望めません。ましてや会社を変えて給料が下がるというのは、是非とも避けたい選択となります。

 まだ正社員として不安定ながらでも会社という世間にしがみついていられる人は幸せです。転社を繰り返すうちに正社員の仕事がなくなり、非正規労働者などになってしまうと、給料が安い上に仕事が過酷になります。

 非正規労働者になって一番つらいのは、いつでも首にされる可能性があるということです。要するに彼らは会社という世間に入れてももらえないのです。

 前に書いたように、世間というところは、馴染むことができれば、温かいものなのです。非正規労働者の人たちは、そういう温かさを全く味わうことなく、正社員よりも過酷な仕事を毎日こなさないといけません。