「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

二十一、いとこが白血病になってしまった

 手動機の写植オペレーターの仕事は、わたしが三十五歳くらいになった頃には、もはや求人が絶えてしまいました。電算写植の仕事を教えてもらったこともあるのですが、それがもう一つ面白くない。

 面白くなくても、仕事はやり続けるのが当たり前なのですね。それはわたしも重々分かっていまして、そういう会社に就職したりもしましたが、どうしても続かない。

 それでも微かには残っていた手動機の写植オペレーターの仕事をする会社を何とか見つけて働いていました。

 そんな時、わたしの家に──主に母親に、なのですが──ある重大な知らせが飛び込んで来たのです。わたしの母方のいとこの女の子が白血病になったとのことでした。

 白血病は、幸運な場合は治ることもありますが、今でもやはり不治の病といってもいい病気です。

 わたしはその時三十四歳でした。いとこはわたしより十近く年下だったのでしょうか。これから限りない未来のある、うら若き乙女なのです。幸せしか待っていないはずの年齢だというのに、何という不幸でしょうか。

 医療に関する知識の皆無なわたしには、当然、何も施してやる方策などありませんでした。祈るにしても、例の宗教団体からは全く距離を置いていましたので、祈る宗教も持っていません。ただ心の中で何度も何度も、治ってくれ、治ってくれと、何か崇高なものに向かって依頼するだけしか能がありませんでした。

 そんなことをしていると同時に、わたしは、自分だっていつかは死ぬ。いとこのように早く重大な病気になるとは限らないが、ある程度の年になったら必ず死ぬということに、初めて強く思い至ることになりました。

 わたしは小説家になりたかったのではないか。毎日会社に出て働くのは大事かも知れないが、わたしはどうも会社員の仕事には向いていない。気質的には向いているのだが、朝定刻に起きるのがどうしてもちゃんとできない状態なので、やはり遅刻・欠勤が多くなってしまう。これでは会社員として失格だろうと、常日頃思っていたのです。

 そんなハンディがあるのなら、会社でちゃんと働くことだけを考えて、それに合わせて規則正しい時間の過ごし方をしなければなりません。要するに、会社の仕事を終えて家に帰ったら、ただ静かに体を休めることだけに集中して、小説を書くなどという疲れる作業はしてはいけないということなのです。

 そんなことはできないと、前から考えていましたが、いとこの命の危険のことを知った時から、より一層強くできないと思うようになりました。

 わたしは精神病院に入院したような人間なのです。今さら真っ当な人間らしく、真っ当な職に就いて、真っ当な顔をして生きて行く必要がどこにあるでしょうか。いわばわたしは、世間からすっかりこぼれ落ちてしまった人間なのです。

 それに手動機の写植オペレーターの仕事はそろそろ絶滅していきます。何か新しい仕事を習得してもいいのですが、わたしが是非とも習得したいものは、小説を書く技術なのです。それしかないのです。

 小説を書く技術を、給料を払いながら教えてくれる会社など、世の中に存在しません。つまりわたしは会社のようなところに入ることを、これからは拒否していかないといけないわけです。

 そんなわけにはいかない。もし会社に行かないにしても、何らかの方法で自分が生きていくだけのお金は手に入れないといけない。そう思って、わたしは地域の保健所に駆け込んだのです。

 そして障がい者年金を貰うことになったのですが、それは生活していくにはあまりにも少ない額しかありませんでした。