「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

二十二、お金の儲からない仕事

 わたしが小説を書くことを中心に考えたいと言明すると、母親はひどくいやな顔をしていました。そんなんして、生活すんのはどうすんのん? と訊ねるので、もしどうしても生活でけへんかったら、生活保護を貰ういう手もある。

 生活保護の話をすると、母はもっといやな顔をして、

「ほんだら、わたしはどうしたらええんや?」と怒ってきました。

 どうしたらいいんでしょう? わたしは自分のことしか考えていませんでした。母は生活保護で生活することなんか、絶対いやだという顔をしていました。

 わたしだって、本当はいやです。会社にでも勤めて、あいた時間に小説を書くという生活がいいというのは、重々分かっています。しかし前にも書いたように、二つのことを一日に詰め込むことは、わたしの精神と肉体の両方のキャパを超えているのです。

 結局会社という、人々が真面目に働いている場で、不真面目にしか見えない行いをしてしまうに違いないのです。

 小説を書くことを諦めるなんてことは、絶対にできません。いとこが白血病になったのを知って、わたしの命かって限られてる。限られた命を、したくないことをして一生を過ごすのはいやです。

 母からすればそれは反対やんということでしょう。いとこが白血病などという難病にかかってんから、忠はより一層真面目に会社で働いて、ちゃんと生きるのを見せてこそ、いとこのためやろうという論理でしょう。

 そっちの論理の方が、世間のルールに添うという点では正しい行いなのでしょう。しかしわたしには世間なんかもう、どうでもよかったのです。あんないけすかない宗教団体という世間でいやな思いをさせられたのですから、世間の思惑通りにするなんてことは、もう考えたくありませんでした。

 それに何度も言いますが、わたしは精神病院に放り込まれた人間なのです。そんな人間が、今さら、世間の中に混ぜて下さいという態度を取ったところで、せいぜいおみそにされて、つまらない地位でせっせと下働きを一生させられているだけのことでしょう。

 つまらない地位に座っていても、小説を書けさえすればいいのですが、きっと世間というところは、わたしに小説を書くことを許してくれないでしょう。働くことに支障のある作業なんかするなと、恫喝してくるに違いないのです。

 そんな時にクリニックのデイケアという世間に入り、そこで深く馴染めたことは、わたしにとって望外の幸せでした。

 クリニックのデイケアなんか、世間とも言わんやろう。そんな病人の集まってるとこに、世間なんかあるはずがないと文句を言う方もいらっしゃいますでしょう。

 精神科に通う病人といっても、ぼんやりして魂の抜けた人など、まずいないのです。デイケアの中にあっては、みんな結構好き勝手にしゃべって、自己を主張します。

 そういう人たちが集まっているのですから、そこも立派な世間です。そこには複雑な人間関係もあり、暗黙のルールというものもあります。

 いつしかわたしはクリニックのデイケアというところで仕事のようなことを始めたのです。仕事といっても、お金を貰えるわけではありません。

 お金貰われへんかったら、それは仕事やないやろうというお叱りの言葉が飛んでくるのは分かります。そこでわたしは一つ提言します。仕事をするとか働くとか言いますが、それって、ちゃんとお金を稼ぐもんやないと、やっている意味がないのでしょうか?