「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

二十九、八方美人はよくない

 外から見たら全く同輩としか見えない、たった一年しか年上でない人たちを先輩と崇めなくてはならない、それが世間というところのルールなのです。

 若い人たちは、世間の上下関係なんか古臭いと言うわりには、この先輩後輩という間柄の上下関係には、すんなり納得するようです。

 大人たちの上下関係について旧式だと不満を述べがちな若い人たちでも、このクラブ活動での上下関係には、何の反対もしません。

 実はこのような少年少女時代の上下関係が、その後の世間での上下関係の基本になっているのです。

 要するに日本人たちは、既に年若いうちから世間の上下関係に入ってしまっているのです。そういうものがあるのは当たり前だという風土の中で、最初から暮らしているのです。

 だから日本という国で生きるためには、世間というところを無視していては、自分の居場所を確保することすらできません。末席でもいいから、どこかに座らないと、生活そのものができないのです。

 わたしは、中学のクラブ活動も早くに辞めてしまい、宗教団体という世間にも入り続けることを拒否しました。だからといって、他に入る世間もなく、実に寂しい青春時代を過ごしました。

 そんなわたしが初めて、属していて心地よいと思えた世間が、クリニックのデイケアという場所でした。

 家の玄関にスプレーペンキを吹きかけられるという不愉快な行為をされてから、わたしは同じ精神障がい者たちにも、厳しい目を向けるようになりました。

 精神障がい者だからいい人ばかりやなんていうあり得ない伝説は、わたしの信じるところのものではなくなっていたのです。

 だから、気に入っている人には親切にするが、気に入らない人に対しては、徹底的に冷たく接する、そういう態度をあからさまに取るようになったのです。そのようにすると、不思議なことに、デイケアでの人望が、うなぎのぼりに上がっていったのです。

 そうです。何度も言いますが、世間というところは平等ではないのです。この人はあの人より大事さが下だと思ったら、遠慮せずないがしろにするくらいがちょうどいいのです。

 世間の中に入ろうとしてどうしても入れない人の最大の特徴は、誰に対しても愛想よく接しようとするところです。

 たとえばAさんという人がいて、自分はその人がいいなあと思ったとする。Aさんも自分に対して愛想よくしてくれる。それはいいのですが、そのAさんという人は、他の大勢の人たちにもみんな愛想よくするというのを目にした時、あなたはどう思いますか? ああ、社交的な人やなあですませられるでしょうか?

 Aさんは、自分に対して愛想よくはしてくれるが、他の人たちにも同じように愛想よくするということは、Aさんにとって、他の人たちと自分とは、大事さがあまり変わらない存在なのではないか。しょせんAさんは、誰に対しても愛想よくしてるだけやんと、がっかりすることはありませんか?

 それよりも自分に対してはいつも優しい態度を示してくれるけれど、他の人たちに対しては一線を画したような冷淡な態度を取る。そんな人の方が信用できるのではないでしょうか?

 八方美人の人があまりいい目にあわないというのは、そういうところから来るのです。あらゆる人と仲良くできるから、友達がいっぱいおってええなあと本人は思うのですが、いざ大事な用事があって誰かに協力してもらおうとしたら、みんなそっぽを向いてしまう。そういうことがよくあるのです。