「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

四十七芸人扱いされる妻

 妻は、精神障がい者の連中が構成する世間の中で、かなり困った立場に立っていたのです。決して嫌われていたわけではなく、逆に好かれていたのですが、好かれているが故に過大な期待をされて、それに応えることのできない妻が責められるという羽目に陥っていたのです。

 妻は明るくて優しいのだけれど、強くはないのです。むしろ弱いのです。それで人の都合のいいように使われるということがよくありました。

 妻に「助けてくれ」と言って助けてもらいながら、その人は常に妻にマウントを取ってきて、上から目線で妻を見ています。

 世間というところの特徴の一つに、上下関係がしっかりしているというのがありますが、妻は何でも人のために働くわりには、下位の地位にしかいられないのです。

 世間に限らず、人間の住む世界ではみんなそうですが、正しい人が正しいと認められるわけではないのです。世間に限って言えば、世間の中に流れる空気が有利に流れていれば、その人は勝つことができるのです。どんな間違ったこともまかり通るということがよくあるのです。

 妻は空気を読むことのできない人間でしたから、どこかに所属してある程度重んじられても、最終的にはそこから放逐される羽目になってしまうのです。

 そのように常に孤独に追いやられる妻なのに、見た目はとても人気者のような印象があるのです。

 ある時体育館で運動会のようなものをやりました。八尾市の精神障がい者たちを集めた、ある程度の規模のものでした。

 妻はクリニックのデイケアのグループにいました。わたしとまだお付き合いをする前のことです。

 観覧席にそれぞれのグループが陣取っていたのですが、妻がこちらのグループにいるのを見つけて、何人かの女の子たちが手を振りながら近づいて来て、大きな声で「○○ちゃーん!」と呼びかけるのです。

 もちろん妻も手を振り返します。するとまた別の女の子のグループが寄って来て、「○○ちゃーん!」と妻の名を呼んで手を振って来ます。それが何回かあるのです。

 その当時まだ妻でなかった妻の近くに行って、わたしは「○○ちゃんって、人気あるんやなあ」と言うと、彼女は、

「人気あるわけちゃうねん。ああやって大袈裟に手振るけど、結局みんなおれへんようになるやろ? 隣りに座って、一緒にお弁当食べようなんて子、おれへん。あれは単なる嫌がらせやで。わたし、あんなんされるの大嫌いや」と慨嘆していた。

「ほんなら、ぼくが隣りに座るから、お弁当一緒に食べよう」と誘いかけると、妻はとても喜んでくれました。

 妻は初対面の人と打ち解けるのが、天才的にうまい人です。相手はまるで初対面なんかやないくらい、親し気にしゃべってきます。妻も長年の友達のようにしゃべります。

 しかしそんな人たちが終生の友になるかというと、そんなことは決してありません。二回目に会った時くらいから、関係はギクシャクします。

 みんな、妻のことを、お雇い芸人か何かと勘違いしているのです。「なんか、面白いこと言うて」と期待するのです。

 世間の中で妻はいつもそんな地位に立たされるから、どこの世間に入っても生きにくいのです。みんなと同じように目立たない存在でいたいと、常日頃から言っています。もし芸人扱いするんやったら、一人ずつ一万円くらい払え、あほ、とわたしは怒りたくなります。