「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

二十四、片手間で仕事したらあかんのん?

 会社員になるならば、会社のために滅私奉公するというのは、日本の世間では当然のことなんですね。生活の全てが会社になって、それ以外のことは何も考えない。

 それくらいでないと、会社員としてやってはいけない。わたしだって、そんな風に働いていたとしたら、会社を終わって家に帰ったら、ただ体を休めることだけに専心して、早く寝て早く起きて、毎日の仕事に邁進することができるでしょう。

 しかしわたしにはそれは無理だということは、前から書いています。

 会社の仕事で疲れた体を鞭打って、わたしは小説を書いたりしています。そのためにより一層疲れて、次の日の仕事に支障が出ます。それでは会社員として失格なんでしょう。会社員になったら、二十四時間会社のために体も精神も賭けないといけないのでしょう。

 果たしてそうなのでしょうか? それは正しいんでしょうか? ことによるとそれは、日本では正しいかも知れませんが、世界的に見たら、全然正しくない考えなのではないでしょうか?

 とてつもないエリートになって、とてつもない給料を貰って働いているのなら、国のため会社のためにこの身を捧げるというのは分かります。

わたしはエリートですか? 生活にギリギリにしか間に合わない日々の金を得るために、仕方なく就職しようとしているだけなのです。

またフランスのことなんか持ち出したら馬鹿かと思われるかも知れませんが、フランス人は、働くために生きてるんじゃない。休むために働いてるんやと常に主張しているらしいです。働くことに夢を抱いているのは、一部のエリートだけで、普通一般の労働者は、働くのは仕方なくやっていることなのです。

宗教団体の例の人はわたしに、「片手間で働いてたらあかん。社会いうんはそんなに甘いもんやない」とわたしに言い聞かせていました。

片手間で仕事やったら、ほんまにあかんのでしょうか? 金を貰ってやる仕事なんか、一部の人の命に関わる仕事以外は、たいして人の役に立たん仕事ばっかりやないですか。

わたし、ある時、どっかの銀行の何十周年の記念の文集みたいなんを、手動機の写植機で打ってたことありますが、打ってるうちに、途中で馬鹿らしくなる気持ちを抑え切れませんでした。

こんな印刷物、作んのは勝手やけど、何の役にも立てへんやんか。そら、原稿書いた人らは、完成した文集を渡されて、自分の書いたやつを見たり、親しい人の書いたんも見たりするやろうけど、見るのん、その時だけやと思えへん? こんなんすぐにどっかにしまい込まれて、永久に手に取ることなんかあれへん。

こんな仕事に比べたら、家でお母さん方が、子供のために料理を作る方が、よっぽど重要な仕事やと思うけど、どうやろう。お父さん方も、そんな無駄な仕事する暇があったら、息子を遊園地かなんかに連れて行って、そこで楽しく語らう方が、よっぽど役に立つ仕事になると思うけど。

日本の世間では、そのような考え方は、全く通用しないのです。男も女も、外に働きに行って、そこで給料を貰うことが偉いことであって、金にならない仕事というのは、仕事とも言わないのです。

わたしが役に立ってたと自負するデイケアでの仕事ももちろん仕事なんかではなく、小説を書くことなんか、仕事どころかただの道楽で、怠け者のすることだと見られても仕方がないのです。

しかしはっきり言って、会社で働いていた時は何かを学んだという気は全く起きませんでしたが、デイケアでの十年間は、わたしにとっては大事な学びになったのは確かです。