「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

五十三、気味の悪い団結力

 何度も書きますが、世間というのは情緒的なものです。だから精神がしっかりしていれば、勝つ見込みのない勝負でも勝つことがあるという、とても現実的とは言えない確信でも、抱いてしまいがちなのです。

 高校野球を例に出すと、いつも地区予選の一回戦で負けているチームが、甲子園の優勝校と戦った場合、どんなに強烈な精神論を叩き込んだところで、一回も勝つことはあり得ないでしょう。

 やはりそこには現実というものがあるのです。まず守備力を徹底的に強化して、盤石な投手陣を作って、そして徹底的にバッティングを鍛える。

 それだけやったとしても、なかなか甲子園に出ることすら叶いません。甲子園の優勝校と戦うことなんか無駄な悪あがきになってしまいます。

 甲子園の優勝校に勝つためには、それができるかも知れないというところまで、チームを成長させるしかないのです。

 日本が、例えばあの巨大な国、中国と戦争をして、勝つと誰が思えるでしょう? 日清戦争は勝ったやんけと言う人がいるかも知れませんが、あの時の中国と今の中国とでは、全く国力が違います。

 アメリカが味方してくれるから、勝つやないかと言う方もいらっしゃるかも知れませんが、アメリカはそう簡単には中国を敵に回すことはしないでしょう。アメリカが乗り出すようになったら、第三次世界大戦になることは必定でしょうし、そうなったら、あちらこちらで核爆弾が飛び交って、地球は滅びてしまいます。

 日本が勝つとかの問題ではなく、日本などあっという間に消滅してしまうことでしょう。

 日本の保守的な人たちも、そこまでは考えてはいません。

 正式な軍隊のない今の状況では、これからの国際社会を渡っていくのは無理だから、まず軍隊を作ろうと考えている程度なのかも知れません。もし日本に正式な軍隊ができたら、アメリカにも都合がいいのだろうと。

 一つの外交戦略として軍隊を持つというやり方です。

 しかし日本には、日本全体という世間が一丸となって、神風特攻隊的な戦争に突入したという歴史的事実があります。日本の世間というところは、欧米の社会などよりも、はるかに団結力が強いのです。

 その団結力たるや、全くの丸腰で機関銃の列の前に突撃するような、欧米人には考えられない無謀な振る舞いを奨励するものでもあるのです。

 そんな気味の悪い団結力はいらないのです。しかし日本の世間というところは、気味の悪い団結力でもいいから、団結力があればいいと思っている節があります。

 日本に数ある宗教団体や会社などの中には、明らかに今も気味の悪い団結力を奨励しているところがあります。とにかく勝てばいい、広く布教できればいい、儲かればいい。目的のためには何をしてもいい。一人一人の人間の命なんか、本当はどうでもいいと思っている。

 わたしは宗教団体という世間で、いやというほどのつらい思いをしましたので、一人一人の尊厳を大事にしない組織というものに対しては、懐疑しかありません。

 一人一人の尊厳を大事にしていたら、世間という差別的な集団は成り立たないのでしょうか? やはりしっかりとした上下関係があって、下の者は上の者に絶対服従という態度を取らないと、世間というところの秩序は保たれないのでしょうか? その時に下の者が一人くらい死のうが、さほどたいしたことはないという心構えが大事なのでしょうか?

 決してそうではないと、わたしは確信しています。