「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

七、精神を病んでしまった

 恋愛の相手は、よくあるように、同じ会社の人でした。

 わたしは三十歳になっていたのに、相手の人はまだ十九歳の若さです。

 ここで恋愛の経緯を事細かく述べても仕方ありません。それにこの恋愛には、たいした経緯もなかったのです。何故ならわたしは恋愛に落ちてさほどしないうちに、凄まじい妄想の世界に入ってしまったからです。簡単な妄想ではなく、統合失調症の妄想です。

 どんな妄想の世界に入ったかなども、ここでは関係ありません。わたしは世間について語るために、この文章を書いているのです。

 とはいえここで統合失調症を始めとする精神疾患と世間との関係について、一言述べておきます。欧米の精神疾患のことは知りませんが、日本においては、何らかのはずみで世間から抜け出てしまった人が、精神疾患になりやすいとわたしは考えております。

 日本には個人もなく社会もありません。あるのは世間だけです。世間の中で、なるべく心地よく暮らすというのが、日本人が最も望む生き方なのです。それ以外の生き方は皆無だと言い切ってもいいかも知れません。

 わたしは、会社という世間にも正式に入ることもできず、宗教団体という世間にも、入ることを拒否していました。つまりわたしには所属する世間が全くなかったのです。

 世間から抜けたところで生き続けたと阿部謹也さんが書いていらっしゃった、永井荷風のように、落ち着いて小説を書いて、自分だけの世界にいられたらよかったのですが、当時のわたしはまだ小説を書けてすらいませんでした。

 そのため、精神的には不安定の極致にいたのです。

 そんなわたしがどんな世間にも入れずウロウロしていたのですから、精神を病むのは当たり前のことです。

 わたしは三十歳の年の暮れに、ついに精神病院に入院という運びになったのです。

 入院して二日ばかりたって、不意にわたしの大妄想は消え去りました。そしてそれからは病棟内を落ち着いて眺めることができるようになりました。

 わたしが入ったのは閉鎖病棟という所です。病棟の名前としては恐ろしいイメージを抱かれる方も多いと思いますが、中に入っている者としては、たいして恐ろしいものでもありませんでした。

 一部の重症の方々を除いて、みんな普通に会話をする普通の世間だったのです。そうです、精神病院の閉鎖病棟の中にも、しっかり世間があったのです。

 その世間の中で極めて退屈な三ヶ月を暮らしたのち、わたしは退院しました。復帰する会社はありません。宗教団体のその人が訪ねてくれて、時々話をしてくれましたが、集まりなどには出ませんでした。退院後は次第にそちらの方とも縁が切れてきました。

 わたしが大妄想の最中にあった時、思考伝播という症状がありました。それはわたしの心の中で考えていることが、世界中、宇宙中に伝播しているという妄想だったのです。

 その時わたしは、わたしが心の中に抱いている欲望や願望や嫌悪や希望などを、一つ一つ自分自身の前に目の当たりにしなければならないことになったのです。

 人間には、自分自身にすら秘密にしている考えというものがあるのです。普通はそれは一生涯表面に出ることなく、隠されたまま死に至るのですが、わたしは全てを痛いほど知ることになったのです。

 性的な欲望を目の当たりにするのは非常に困りましたが、はっきり知って助かったと思うのは、その宗教団体に対する激しい嫌悪の気持ちだったのです。