「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

六十二、野蛮な積極性

 タテマエとホンネがあるために、日本人は時にどちらを取ったらいいのか分からなくなります。

 ホンネの部分では、日本人は消極的で、まわりの目を意識して生きる民族なのですが、それでは欧米人のような進んだ人間になれないと考えて、もっと積極的になろうと、自分を叱咤激励する。その二つの部分を、絶えず行ったり来たりしているのです。

 だから日本人にはいつもその両者の間での戸惑いがあるのです。

 人間が自由に生きて行こうとする時に、どちらにしたらいいか分からないというような戸惑いがあるのは、マイナスにこそなれ、プラスにはなりません。

 元々の消極的な部分を抑えて、無理に積極的になろうとすると、あの忌まわしい太平洋戦争の頃の、異常に元気だった日本人というものが生まれてくる可能性があるのです。

 積極的であれば何でもいい。現実的な社会の動きとか人間性とかは全く無視して、とにかく目をつむって前に進むんだということになってしまうのです。

 上層部の人たちや、インテリの人たちには、あの戦争は負けることになると、始めから分かっていたものと思われます。だったら最初から負ければよかったのです。アメリカに資源の輸出を止められて苦しくなった時に、すぐに謝って、仲良くしましょうと言えばよかったのです。

 だって、どうせあの悲惨な終戦を迎えた時、日本はほとんど土下座をせんばかりの様子で、アメリカに謝ったのですから。

 欧米の積極性には、ちゃんとした理屈があるのです。そうした理屈に従ってやっている積極性だから、何をやっても自己矛盾がないのです。

 日本人が無理に自己主張して、無理に積極的になろうとすると、逆に歯止めがきかなくなるということがあります。

 あの無謀な戦争の時もそうでしたが、80年代後半のバブル景気で騒いでいた日本人というのも、かなりやり過ぎの感がありました。お金を儲けさえすれば、何をしてもいいという傲慢さが、日本人にはありました。

 戦争の時に中国や朝鮮や東南アジアを滅茶苦茶に占領した時のように、今度は経済的に外国を蹂躙していた様子でした。

 積極性というものは、自然に出てくるものならば、まわりの者たちも納得するもので収まりますが、無理やりに発揮した積極性は、いわばやけくそというものになります。やけくその積極性は、単なる野蛮でしかありません。

 だから日本人は、これからも、以前のような野蛮な積極性など発揮しない方がいいのです。そんなものには何の方向性も指針もないのですから、あっという間に破綻してしまいます。

 まわりの目を意識してキョロキョロするというのは格好が悪いと、日本人は思いがちですが、そのようにまわりを意識することによって、日本人特有の優しさや奥ゆかしさが出てくるのです。

 格好が悪いどころか、これこそ日本人の美点なのです。日本人のこのような美点について、憧れの気持ちを抱いている外国人は多いと思います。

 だから日本人は世間特有の、まわりの目を気にする部分を、逆に生かした方がいいのです。無理に欧米風の積極性など発揮せず、あくまでも日本風に振舞っていいのだと思います。

 戦争の頃やバブル景気の頃のような、あの野蛮な日本人には、もう立ち戻って欲しくはないです。