「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

三十七、会社における滅私奉公

 残念ながら、わたしは会社という世間の中にすっかり馴染むということはできませんでした。

 小説家になりたいという夢はありましたが、何も会社というところを軽蔑していたわけではありません。

 一人で暮らすにしても、誰かと結婚して暮らすにしても、とにかく家計を支えるお金というのは必要ですから、会社に働きに行くのは当たり前だと思っていました。小説を書くことは、会社が終わった後に楽しむ趣味という形でも、わたしは十分に満足だったのです。

 しかし遅刻・欠勤の多いわたしに対して、上司は、

「仕事、一日したら、みんな疲れ切ってるんや。家帰って、他にややこしいことをしてる気力なんか、誰にもあれへん。中川、お前かって疲れるやろ。そやから家に帰ったら、なるべく体を休めることに集中した方がええ」と注意されたのです。

 遅刻・欠勤もなく、仕事も優秀なくらいこなしていれば、家に帰って小説を書いていることも誇りにできるのですが、会社員として最低の行動もできない身では、上司の言う通り、小説を書くことなど諦めた方がいいのに違いありません。

 生活費を貰う仕事をしているのですから、二十四時間を仕事のために費やしても、それは仕方がないのでしょう。

 しかし本当にそうでしょうか? 他に何もしたいことがない場合はそれでもいいですが、わたしのようにしたいことが他にある場合、それを毎日することは、罪なことなのでしょうか?

 日本の会社は、とにかく残業が多い。残業が毎日あるくらい忙しくなくては、会社としては経営が成り立たないのかも知れません。

 しかしぼくにとっては、会社と同じように、小説を書くことも大事なのです。仕事以外のことなんか、大事に思うなというのは、わたしにとっては理不尽な言葉としか聞こえません。

 しかし昔の高度経済成長を遂げていた頃の日本の会社のことを、時々テレビで観たことがあるのですが、本当に滅私奉公で働いている様子が放送されています。そしてそれが日本人の美徳と言いたいような放送なのです。

 欧米の会社でも、日本人以上に働いている人はいます。そういう人は、二十四時間、三百六十五日、仕事のことを考えて、毎日邁進しているのです。

 しかしそういうことをしているのは、一部のエリートに過ぎません。そういう人たちは、働く代わりに報酬はたくさん貰っているのです。そして将来経営者になって、大金持ちになる可能性が開けているのです。

 日本人は、会社員の誰でもが、欧米のエリートのようにたくさん働きます。それなのに給料は少ない。しかしそんなことには文句を言わずに、滅私奉公して働けと要求されます。

 面と向かって要求されることはありません。会社という世間の中に、そういう空気が厳然と存在するのです。滅私奉公の気持ちがなかったら、あんたは会社から追い出されるでーという空気。

 この滅私奉公という精神は、欧米にはありません。一部の大量に働くエリートたちも、別に滅私奉公をしているわけではありません。会社のためというより、自分の力をつけるために働いているのです。

 日本人も、滅私奉公で働けば、自分のスキルは身につくのでしょうが、スキルを身につけて、さあどうするという、将来の展望なんかありません。いずれ独立して自分が社長になって頑張ると思っている人はいるにはいるでしょうが、かなり人数としては少ないのです。