デイケアに通っていても、一円のお金にもなりません。だから大部分の人は、そんなところに通っていても無駄やんかと思いながら来ています。早く働かねばと心の中で焦りながら、仕方なくそういうところに集まっているのです。
そんな場所なのに、わたしはそこでたくさんの勉強をさせていただいたと書いているのです。
あほなこと言うな、デイケアはただの病院の施設だけなんやから、そんなところで勉強になることなんか何もないと、デイケアに実際に通ったことのある人たちは、不満を述べることでしょう。
わたしだって、通い始めた最初の三年くらいは、勉強になんかなりませんでした。こんなところにいつまでも通ってて、情けないと思っていました。
だからそれまでは、みんなのやっていることを遠くから見て、ぼんやりしているだけだったのです。
ところが例の玄関にスプレーペンキをかけられる事件があって、わたしは俄然怒りにとらわれるようになりました。
精神障がい者やからといって、みんなええ人とは限れへん。いい人もおるかも知れへんけど、それは他の世間一般におるいい人の割り合いと変われへん。精神障がい者にも悪い奴はたくさんおる。
そうやから、わたしは、精神障がい者やからといって、誰彼なしに優しくすることはやめて、嫌な奴は嫌、誰が何と言っても嫌と、押し通すことにしたのです。
そのような態度でデイケアで毎日過ごしていると、不思議なことに、デイケアの内部におけるわたしの人望が、うなぎ登りに上がってきたのです。
わたしのしていることは、人権という立場から言えばよくないことです。明らかに人を分け隔てしているのですから。そんな悪い態度を取る人がいるから、世間の中での差別というものがなくならないのだと。
しかしわたしはいわば、世間というところで生きる初心者なのです。生まれて初めて馴染める世間というものに出会ったばかりの人間なのです。取り敢えず世間というものの仕組みを把握することから始めないといけません。
誰にでもニコニコしていたら、世間というところでは、馴染むことはできません。馴染むどころか、何かとトラブルの多い生活になってしまいます。
どんな世間にもいるでしょうが、こんな奴いややという人はいます。
わたしがはっきりと上の立場に立っているのなら、話は別です。ちゃんとした責任者という地位を与えられて、生計を立てることのできる程度のお金を貰っているのなら、話は違うのです。わたしは自分の下の人たちに対して、できるだけ平等に接しないといけないのでしょう。何しろそれがわたしの勤めなのですから。
しかしわたしはデイケアにおいては、他のメンバーさんたちと同じく、ただの利用者なのです。地位もなく、給料もありません。
ただのメンバーさんたちは、みんな勝手気ままにデイケアで過ごしています。わたしだってただのメンバーさんたちの一人なんですから、勝手気ままに過ごしていて、何が悪いのでしょう。
スタッフの人たちはわたしのことを、リーダー的な存在やから、それなりの振る舞いをせなあかんと注意しますが、そのリーダー的地位に対して、わたしは何の報酬も貰っていません。何の地位にもついていません。
それでわたしはわがままに分け隔てをしたのですが、そのことがわたしの人望をさらに上げることになりました。そのからくりについては、次回に語ります。