「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

一、世間学との出会い

 わたしはもはや六十三歳にもなる男性です。たった十五歳の頃より小説家になりたくて、色々と独学で奮闘してきましたが、五十年近くたった今でも、わたしの書いた小説でお金を儲けるまでには至っておりません。

 それなのにわたしは、今でも毎日コツコツと小説を書き続けております。

 わたしはアメブロの別のブログで、小説のサイトを開いておりますが、それは極めつきの人気のないサイトです。

 そのサイトはそのまま進行させて、ここでは別のことを題材にして、拙い文章を綴っていこうと考えております。

 五年ほど前から、YouTubeで、『信州読書会』というサイトを見つけ、大体ずっと愛聴しております。そこは宮澤さんという男性が一人で語るサイトで、顔出しはせず、哲学やら政治やら文学やらについて語っておられます。

 読書会なので、もちろん週一回はインターネット経由での読書会も主宰しておられます。

 その方の最近の音声に、『阿部謹也さん』という名前が出てきて、ハッとしました。阿部謹也さんというのは、わたしにとって懐かしいお名前だったからです。

 わたしがまだ二十代の頃、『ハーメルンの笛吹き男』という本を見つけ、読んだことがあるのをしっかり憶えていたからです。その本の著者が阿部謹也さんだったのです。

 その阿部謹也さんが、一九九〇年の頃から、『世間』についての研究を始められて、たくさんの著書を出しておられたことを、宮澤さんから聞いて知りました。そしてさっそく何冊か購入して読み始めました。

 わたしは、修行のために小説はたくさん読みましたが、評論の本の類いは、さほどの冊数は読んでいませんし、さほどの熱意も感じたこともありませんでした。しかし阿部謹也さんの本には、心底感動を覚えました。

 後々にその理由については語る予定ですが、わたしは世間というものは随分苦しめられた者です。世間というのは、ありていに言えば、わたしにとって敵以外の何物でもありませんでした。

 しかし敵だと認識はしていたのですが、その実世間については詳しいことは何も知らず、何かの本を読んで知ろうとも思いませんでした。大体そんな本があるとも思っていなかったのです。

 阿部謹也さんも書かれておられたのですが、世間について何か発言しても、同業の学者の方々は、全く見向きもしてくれなかったそうです。つまり世間というのは、世間話とかいう時に使う世間であって、はっきり言って単なる雑談の類い、到底学問として取り扱う種類のものではないと見なされていたのです。

 実はわたし自身もそう思っていましたのです、世間について論じた本などあるはずがないと、無意識のうちに思い込んでいたのです。

 そこで出会ったのが阿部謹也さんの著作です。わたしは、長年離れ離れになっていた親にやっとめぐり逢ったような感動を覚えたものでした。

 阿部さんは仰っていました。部落差別の団体など、差別に日常的に晒されている人たちは、世間についての話を、真面目に聞いて下さったと。

 実はわたしも差別を受けるような立場に立つ者なので、阿部さんの言葉は、しっかりと身に染みて入ってきたのです。

 例えば、新卒一括採用という言葉があります。わたしは関西のある有名大学を卒業したのですが、その頃真剣に精神を病んでしまい、就活というものが全くできませんでした。

『社会に出る』という行為が、まるでライオンの檻に丸腰で入らされる時のような恐怖を覚えさせるものだったのです。

 社会に出る。そうです。阿部さんは、日本という国には社会というものがないと書いておられました。まずそのようなことを、次に書いていきたいと思っております。