「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

二、世間に馴染もうとした日々

 そうです。日本には社会がないと、阿部さんは仰られておりました。

 若い頃のわたしは、ある宗教団体に関わっておりまして、そこに所属する親しい人に、「社会は厳しいとこやで。中川君のように軽く考えてたら、痛い目にあうで」と脅かされていました。

 わたしは、社会が甘いところだなんて、一度も考えたことはありませんでした。前回にも書いたように、丸腰でライオンの檻に入るようなものだと恐れていたくらいなのです。

 今から思えば、その人がわたしに親しくしてくれていたのは、わたしをただその宗教にどっぷりと浸からせるための方便だったのです。

 わたしの将来やわたしの運命など、その人にはどうでもよく、その宗教にわたしがすっかり帰依すれば、それで万々歳だったのです。

 その人を含め、その宗教団体に所属している近所の人たちは、一つの世間を構成していたのですね。世間にとって必要なのは、その世間のルールにしっかりと従う人だけであって、世間のルールに疑問を持ったり反抗したりする人は、必要がなかったのです。

 わたしは当時その人が大好きだったので、一生懸命お勤めもして、その人の言うことに従おうともしました。

 その人はわたしに、「中川君は黙ってたら誤解されるから、しゃべらなあかん。どんなつまらんことでもええから、とにかくしゃべるんや。明るくなかったら、この厳しい社会、渡っていかれへんで」と言いました。

 わたしはその言葉にも従いました。そしてそれからは会う人ごとにやたらとしゃべりかけるようになりました。つまらんことでもええと言われたので、つまらんことをどんどんしゃべりました。

 今から思うと、そんな浮ついたしゃべり方をする人間を、誰も相手にしませんでしょう。わたしだって、もし今そんな人間がいて、そばに寄って来てペラペラしゃべられたら、いやな顔をしてどこかに避難してしまいます。

 そんな無理なことをしたがために、わたしはすっかり精神を病んでしまいました。すぐに病院に駆け込んだわけではありませんが、今から考えると、そうやって無理にしゃべっている状態が、明らかに狂人めいた様子だったのだと認識します。

 自分の人間としての在り方などに斟酌していませんでした。ただその人の言う通りにすれば、自分は人間として強くなれると、自分で自分を鞭打っていたのです。

 さて、冒頭の社会なんかこの国にはないという話ですが、わたしはただ宗教団体という世間にいて、どこかの会社という別の世間に入ろうと躍起になっていたわけですね。日本には、『社会に出る』という言葉はありますが、実質的には社会というものはないのです。何故なら社会は個人というものとセットになるべきもので、日本にはそもそもその個人というものすらないということなのです。

 わたし自身、二十歳になっても、個人というものに体裁上ですらなれていなかったのです。だから宗教団体のその人の言う通り、馬鹿みたいに、ペラペラしゃべっていたのです。心の中ではすっかり息切れして、死にたい思いしかなかったというのに。

 わたしはただまわりをキョロキョロ窺っているだけの、個人ではない人間でした。そして今から思うと、日本人のあらゆる人は、常にまわりをキョロキョロしているだけで、個人として生きるということはないのです。

 結局わたしは就活ができず、その上頭が混乱していたので、大事な単位を落としてしまい、留年の憂き目も見ることになりました。