「世間学」を勉強中です。

日本の世間について語ります

四、世間と仲良くすること

 いやいや、このブログは、わたしの身の上話をするために始めたものではないのです。阿部勤也さんをはじめとする世間学の人たちの著書を読んで、わたしがどれほど共感したかを述べるために開いたブログなのです。

 しかしわたしごときが、世間学の貴重な情報をここに書き並べても仕方がありません。大体、そんなことをしたら、せっかく世に著書を出してらっしゃる世間学の先生方の著作権を侵害してしまいます。

 もっとも、著作権の侵害の件は大丈夫でしょう。わたしの乏しい理解力と記憶力とでは、貴重な知識をここに全て並べることはできませんから。それにそんなことをしても意味がありません。世間学についての正確な情報を知りたければ、世間学の先生方の著作を読んだ方が早いからです。

 わたしはわたしなりの書き方で、世間学についてのわたしの考えを申し述べたくて、このブログを始めたのです。だからやはりわたしの体験した世間についての話を書き続ける方が、わたしにとっては妥当なものだと思います。そこで気を取り直して、前回の続きから書きます。

 前回は、就活が出来ずに転落して、途端に世間から冷たい風を吹きかけられたと記述しましたが、あれは正確ではありませんでした。世間は別にわたしに対して冷たいことはしてきませんでした。

 一年留年している間、わたしは東大阪のビニール製品加工会社にアルバイトとして勤めました。そこが新しい世間になったのです。

 遅刻欠勤の多いひどい働きぶりでしたが、世間に馴染むという点では、そこは差し支えのないものでした。

 わたしの所属大学も大きくものを言いました。履歴書に当然書いた上に、最初の自己紹介でも開示しましたので、みんなわたしの大学名は知っています。

 事務員の女の人は、「うちにこんなええ大学の人が働きに来たことなんか、これまであれへんかった」と、驚嘆の思いと奇異な気持ちの入り混じった目でわたしを見たものです。

 それだけ優秀な大学に行っている者が、本当に優秀に働いたのなら、逆に軋轢があったのかも知れません。わたしは働き手として非常に劣った人間でした。

 工場ですから、色々な作業をします。その作業の準備の段取りも下手で、作業そのものも遅くてお粗末なものでした。

 しかしわたしには生来の人懐っこさがあって、人間としてその会社の世間に馴染むことは、すんなりできました。それ故、冷たい風なんかに苦しめさせられることはなかったのです。

 世間では、仕事の優秀さというのは二の次なのだと思います。もちろん最低限の仕事はしないではいられませんが、同僚と軋轢を生むような仕事の優秀さがあるより、ちょっとくらいどんくさいけれど、その世間の構成員たちと馴染もうとする気持ちの強い人の方が、世間では歓迎されるのだと思います。

 そこが日本の世間の不思議なところです。

 おそらく欧米の会社というところでは、仕事の優秀さが最優先で、人間関係は二の次なのかも知れません。わたしは欧米に住んだことはありませんので、詳しくは知りませんが。

 ところが日本の世間では、優秀さはあまり問われないのです。仕事で戸惑っていて、何してんねん、助けたろかと面倒をかけても、こいつええ奴やなあ、可愛い奴やなあと思われる方が、世間では大事にされるのです。

 仕事というのは、長年やっていれば、誰でもいつかは覚えるものです。しっかり覚えたなと周囲から認められたら、初めて会社の戦力となって働けばいいのです。

 あくまでも大事なのは、会社という世間の構成員の人たちと仲良くすることなのです。